問いの集約
心に響く演奏とは(1) 三味線の学び方と日本古来の身体技術編
「単に上手い」と「心に響く」は似て非なるものです。本編では、伝統芸能の入口(学びの前提・師匠選び・身体の土台)を最重要と捉え、 近代化・西洋化の影響で失われやすい日本古来の身体運用と学び方を整理します。 テクニック偏重(頭で身体を制御する)に寄ると、小手先になり自我が透けて響きが薄くなる。 一方、心身一如を前提に、口伝と型を通して身体から心を整えると、狙わずとも自然に奥行きが立ち上がる——その構造を、歴史背景と具体例で示します。
講座紹介(概要)
本動画は「心に響く演奏とは」シリーズ第1回として、上達の入口にある“土台”を扱います。 結論はシンプルで、演奏者自身が心の底から感動していなければ他者の心には届かない。 その前提として「自分を知る=自分の文化を知る」を掲げ、近代化・西洋化が伝統芸能の学び方をどう変えたかを整理します。 身体運用の差として、日本は外から内へ“引く”(例:鋸・撥の誘導)、西洋は内から外へ“押す”傾向を提示。 伝統芸能の基盤である肚・丹田・深い呼吸・自然体・地に足をつける等が崩れると、頭で身体を制御するテクニック偏重になり、 受けそうなこと(承認欲求)へ流れやすく「小手先」として我が透けると述べます。 対して、心身一如を前提に口伝と型で身体から心を整えること、そして師匠との出会いが入口を決めることを強調します。
この講義で立ち上がった問い
- ・「単に上手い」と「心に響く」を分ける決定的要素は何か
- ・近代化・西洋化は、学び方と身体の土台をどう変えてしまったのか
- ・日本の身体運用(外から内)と西洋の身体運用(内から外)の違いは、演奏の何に現れるのか
- ・テクニック偏重が「小手先」になるのはなぜか──我はどこから透けるのか
- ・口伝と型は、個性を奪う仕組みか、それとも“自然体へ戻す”装置か
- ・師匠との出会いは、なぜ「得られるものが分からない学び」を成立させるのか
- ・「心に響かせようとしてはいけない」という逆説は、何を守っているのか
内容の記録
Ⅰ.入口が最も大切
・伝統芸能は入口で土台が決まり、後の努力の方向性が大きく左右される
・学ぶ前には奥の深さが想像できない、という壁が最大の難所になる
Ⅱ.「単に上手い」と「心に響く」の違い
・上手さ:正確さ、速さ、音量、派手さ、受けそうな要素(他者承認)に寄りやすい
・響く:自分が心の底から感動していることが前提で、狙いが前に出ると薄まる
Ⅲ.前提知識:自分を知る=自分の文化を知る
・近代化・西洋化・戦後教育により、伝統音楽や身体技術の土台が共有されにくくなった
・何が受け継がれ、何が失われたのかが分からない状態が生まれている
Ⅳ.身体と学び方:日本は外から内(引く)/西洋は内から外(押す)
・例:鋸、発声、撥の誘導などに、文化的な身体運用の差が現れる
・日本人には日本人の身体に合った動作があり、本来それは身体を壊しにくい
Ⅴ.土台の崩れ:テクニック偏重と心身分離
・テクニック(本講義の定義):頭で身体を制御し、目的に向けて動きを固定する
・競技的には有効だが、心身分離が進むと「心に響く」という次元では難しくなる
Ⅵ.小手先:我が透ける
・受けそうなこと(承認欲求)に寄ると、観客は関心を持っても距離を取る
・浅いテクニックは表層筋肉の操作になり、演奏意図(我)が透けやすい
Ⅶ.伝統芸能の基本:心と身体を整える(口伝と型)
・心身一如:心と身体は一体で、身体から心へ/心から身体へ相互に影響する
・型は抑圧ではなく、体が整うことで心も整うという“回路”を開く仕組み
・口伝は「見て聴いて覚えろ」を乱用する免罪符ではなく、体系化と言語化も補助として重要
Ⅷ.三味線である必然性:日本古来の美意識
・美意識は型に内在化され、口伝を通じて伝承され得る
・奥の深い基礎が身につくと、表現は“作る”より“自然に立ち上がる”側へ移る
Ⅸ.師匠との出会いが全てを決める
・格言「三年勤め学ばんよりは三年師を選ぶべし」
・学ぶ前には価値が分からない領域に身を預けるには、師匠への信頼が前提になる
Ⅹ.最後に:響かせようとしてはいけない(逆説)
・「心に響く演奏をしよう」とすると計らいになり、逆に響きから遠ざかる
・型と口伝で土台を作り、自然に伝わる状態を目指す
※ご注意:本動画の「テクニック」は“頭で身体を制御し目的へ最短で到達する”という限定的定義で用いています。競技・スポーツ的技能を否定する意図ではなく、伝統芸能の「響く」領域との違いを明確にするための整理です。
初公開:2022-03-31 / 最終更新:2026-01-22