身体と無意識
三味線の演奏は、指や腕の動きといった「技術」だけで成立しているわけではありません。
そこには、言葉になる前の感覚や、意図よりも先に働いている身体の応答、
さらには、無意識の領域に属する作用が深く関わっています。
稽古の場で交わされる学びの多くは、言葉で説明し尽くすことができないにもかかわらず、
たしかに共有され、受け渡されているものです。
それは単なるフォームの模倣や手順の伝達ではなく、
身体そのものが記憶し、更新し続けている知と言えるでしょう。
では、そのような「身体知」は、どのようにして伝承されているのか。
師から弟子へと受け渡されるとき、何が伝わり、何が伝わらないのか。
そして、無意識の働きは、演奏のどの地点で介入しているのか。
ここからの章では、三味線の学びと演奏の深部に潜む、
身体・無意識・伝承という主題に踏み込んでいきます。
第1節 身体知は、どのように伝承できるのか。
三味線の演奏には、譜面や言葉だけでは伝えきれない「身体知」が存在しています。
フォームや型をなぞるだけでは届かない、この知はどのように受け渡されているのでしょうか。
- 身体知は、どのような経路を通って師から弟子へと移っていくのか。
- 「見て学ぶ」「一緒に演奏する」という時間の中で、何が共有されているのか。
- 言語化しきれない学びを、どのように記録し、次世代へと手渡せるのか。
第2節 無意識は、演奏にどのように介入しているのか。
演奏の最中、意図していない音や動きが生まれてしまうことがあります。
それを単なる「ミス」と見るのか、無意識からの応答として捉えるのかで、
演奏の意味は大きく変わってきます。
- 無意識の働きは、演奏のどの地点で、どのようなかたちで現れているのか。
- コントロールしようとする意識と、委ねようとする感覚は、どのように共存しうるのか。
- 「想定外の音」が生まれたとき、それを学びにつなげるには何が必要なのか。
第3節 師から学ぶとは、本来どういう行為なのか。
三味線の世界では、「誰から学ぶか」がしばしば大きな意味を持ちます。
しかし、師弟関係を「技術を教える人」と「教わる人」という図式だけで捉えると、
その本質を取り逃がしてしまいます。
- 師から学ぶとは、本来どのような行為なのか。
- 師の演奏だけでなく、生き方や佇まいから、何が受け取られているのか。
- 指導と支配、導きと依存の境界は、どこに引かれるべきなのか。
第4節 感覚は、演奏にどのように影響するのか。
「音がこう聞こえている」という感覚は、演奏の質を大きく左右します。
同じ音を出しているつもりでも、どのように聴き、どのように感じているかによって、
演奏のあり方は大きく変化していきます。
- 聴く力や触覚、重さや空間の感覚は、演奏にどのような影響を与えているのか。
- 「わかったつもり」と「身体でわかっている」状態の差は、どこに現れるのか。
- 感覚の精度を高めていくには、どのような稽古や環境が必要なのか。
第5節 日本人の身体とは、何なのか。
三味線の演奏には、日本独自の所作や間合い、発声の感覚が深く関わっています。
それは「日本人だから」自然に備わっているというよりも、
歴史や生活の中でかたちづくられてきた身体のあり方だと言えるかもしれません。
- 日本人の身体とは、どのような歴史や環境の中で形づくられてきたのか。
- 所作や姿勢、呼吸の仕方は、三味線の演奏にどのような影響を与えているのか。
- この身体観を、現代や次世代の学びの中で、どのように更新していけるのか。
作成中 — 記録と考察を整理しながら、順次公開していきます。