問いの集約
ムダな練習より「聴くこと」が大切──人は“聴こえる音”しか表現できない
声を変えたいとき、多くの人は「発声練習を増やす」方向へ進みます。 しかし現場では、むやみに声を出すより先に、聴こえ方(知覚)を変えるほうが効果的な局面が少なくありません。 なぜなら、人は「出したい声」を出しているのではなく、自分に聴こえている音の範囲でしか表現できないからです。 本回は、聴こえ方の個体差、余韻・ゆらぎ・間に耳を開く意味、そして聴こえ方を広げる具体的な入口(知識/師匠/意識状態)を整理します。
「聴く稽古」とは、耳を鍛える根性論ではなく、 何を聴き分けるか(焦点)を作り、聴こえる範囲を“結果として”広げる取り組みです。
この回で共有した問い
- ・なぜ人は「聴こえる音」しか表現できないのか。
- ・聴こえ方(知覚)の個体差は、発声や表現にどう影響するのか。
- ・音階中心の聴き方は、なぜ声や演奏を単調にしやすいのか。
- ・「余韻」「ゆらぎ」「間」は、どうすれば聴こえるようになるのか。
- ・知識はなぜ聴こえ方を変えるのか(焦点の生成)。
- ・師匠と過ごすと「聴こえ方が移る」とは、何が起きているのか。
- ・意識状態の変化が聴こえる範囲を変えるのはなぜか。
- ・聴こえすぎる人/聴こえない人への稽古は、なぜ逆方向にズレやすいのか。
内容概要
本回は「声を変える前に、聴こえ方を変える」という立場から出発する。 人は自分に聴こえる音しか表現できず、聴こえる範囲が狭ければ表現も限定される。 聴こえ方には大きな個体差があり、音階(ドレミ)だけが強く聴こえていると、 クリアさや正確さへ偏りやすく、声は硬く単調になりがちである。 一方で、余韻・ゆらぎ・間の気配まで聴こえ始めると、声は自然に柔らかくなり、 音と音のつながりを扱えるようになる。 聴こえる範囲を広げる入口として、①知識(何に焦点を当てるか)、 ②深く聴こえている師匠と過ごすこと(聴こえ方が伝わる)、 ③意識状態の変化(緊張→深いリラックス等)を示し、 さらに事例として「聴こえすぎて困る」生徒と「聴こえる範囲が広がった」生徒の変化を扱う。 結論として、無闇な発声訓練の増量よりも、聴く稽古を設計し直すことが突破口になる場合が多い。
- 人は「聴こえる音」しか表現できない
- 聴こえ方には個体差があり、稽古も個別化が必要
- 音階中心の聴き方は、表現を硬く単調にしやすい
- 余韻・ゆらぎ・間が聴こえると、声は自然に変化する
- 知識/師匠/意識状態が「聴こえる範囲」を開く入口になる
まとめ
声を変えるとは、喉や口の操作を増やすことではなく、世界の聴こえ方を変えることでもある。 何を「音」として受け取るかが変われば、声はそれに従って変わる。 稽古の核心は、足し算ではなく焦点の転換であり、聴こえないものを聴こうとする姿勢そのものが、 表現を深くし、音の質を育てる。
内容の記録
0.導入:「声を変える」より先に「聴こえる範囲」を広げる
・人は“聴こえる音”しか表現できない
・むやみに発声訓練を増やすより、聴く稽古のほうが重要な場合がある
1.聴こえ方は人それぞれ(個体差)
・「皆同じように聴こえる」と思いがちだが、聴こえ方は大きく異なる
・聴こえ方が改善すると、発声や表現も改善しやすい
2.聴こえ方比較:音階中心 vs 余韻・ゆらぎ・間
・音階(ドレミ)中心に聴くと、表現はクリアさや正確さへ偏りやすい
・余韻やゆらぎが聴こえると、声は柔らかくなり、音と音のつながりが扱える
3.何に聴き耳を立てるかが重要
・聴き耳を立てた音はより聴こえるようになる(焦点化)
・「何を聴くか」の蓄積が、その人の聴こえ方を決めていく
4.入口①:知識が聴こえ方を変える
・知識があると、聴き分けの焦点が生まれる
・和の発声なら、日本の音の美意識(自然音・生活音)への理解が助けになる
5.入口②:師匠の聴こえ方が移る
・師が何を聴いているかが、そのまま指導内容になる
・弟子は指摘を通じて「聴こえる世界」を拡張していく(口伝・家出の背景)
6.入口③:意識状態が聴こえる範囲を変える
・緊張が強い状態から、深いリラックスに入ると聴こえる音が増えることがある
・例:母の子守唄/特定の曲/お経など、入口は人によって異なる
7.事例:聴こえすぎる/聴こえない
・聴こえすぎる人は「音の選択」が課題になりやすい
・聴こえない人は固まっていることが多く、緩めるには安全性と時間が要る
・聴く稽古は、方向を誤ると逆へズレるため、専門家の見立てが重要
8.結び:まず「聴ける」ことが上達の前提になる
・余韻やゆらぎを表現したいなら、まずそれが聴こえるようになる必要がある
・発声訓練の足し算より、聴く稽古の設計が突破口になることが多い
初公開(動画公開):2023-07-28 / 最終更新:2026-02-14