ムダな練習より「聴くこと」が大切──人は“聴こえる音”しか表現できない

声を変えたいとき、多くの人は「発声練習を増やす」方向へ進みます。 しかし現場では、むやみに声を出すより先に、聴こえ方(知覚)を変えるほうが効果的な局面が少なくありません。 なぜなら、人は「出したい声」を出しているのではなく、自分に聴こえている音の範囲でしか表現できないからです。 本回は、聴こえ方の個体差、余韻・ゆらぎ・間に耳を開く意味、そして聴こえ方を広げる具体的な入口(知識/師匠/意識状態)を整理します。

「聴く稽古」とは、耳を鍛える根性論ではなく、 何を聴き分けるか(焦点)を作り、聴こえる範囲を“結果として”広げる取り組みです。

この回で共有した問い

内容概要

本回は「声を変える前に、聴こえ方を変える」という立場から出発する。 人は自分に聴こえる音しか表現できず、聴こえる範囲が狭ければ表現も限定される。 聴こえ方には大きな個体差があり、音階(ドレミ)だけが強く聴こえていると、 クリアさや正確さへ偏りやすく、声は硬く単調になりがちである。 一方で、余韻・ゆらぎ・間の気配まで聴こえ始めると、声は自然に柔らかくなり、 音と音のつながりを扱えるようになる。 聴こえる範囲を広げる入口として、①知識(何に焦点を当てるか)、 ②深く聴こえている師匠と過ごすこと(聴こえ方が伝わる)、 ③意識状態の変化(緊張→深いリラックス等)を示し、 さらに事例として「聴こえすぎて困る」生徒と「聴こえる範囲が広がった」生徒の変化を扱う。 結論として、無闇な発声訓練の増量よりも、聴く稽古を設計し直すことが突破口になる場合が多い。

まとめ

声を変えるとは、喉や口の操作を増やすことではなく、世界の聴こえ方を変えることでもある。 何を「音」として受け取るかが変われば、声はそれに従って変わる。 稽古の核心は、足し算ではなく焦点の転換であり、聴こえないものを聴こうとする姿勢そのものが、 表現を深くし、音の質を育てる。

内容の記録

0.導入:「声を変える」より先に「聴こえる範囲」を広げる

・人は“聴こえる音”しか表現できない

・むやみに発声訓練を増やすより、聴く稽古のほうが重要な場合がある

1.聴こえ方は人それぞれ(個体差)

・「皆同じように聴こえる」と思いがちだが、聴こえ方は大きく異なる

・聴こえ方が改善すると、発声や表現も改善しやすい

2.聴こえ方比較:音階中心 vs 余韻・ゆらぎ・間

・音階(ドレミ)中心に聴くと、表現はクリアさや正確さへ偏りやすい

・余韻やゆらぎが聴こえると、声は柔らかくなり、音と音のつながりが扱える

3.何に聴き耳を立てるかが重要

・聴き耳を立てた音はより聴こえるようになる(焦点化)

・「何を聴くか」の蓄積が、その人の聴こえ方を決めていく

4.入口①:知識が聴こえ方を変える

・知識があると、聴き分けの焦点が生まれる

・和の発声なら、日本の音の美意識(自然音・生活音)への理解が助けになる

5.入口②:師匠の聴こえ方が移る

・師が何を聴いているかが、そのまま指導内容になる

・弟子は指摘を通じて「聴こえる世界」を拡張していく(口伝・家出の背景)

6.入口③:意識状態が聴こえる範囲を変える

・緊張が強い状態から、深いリラックスに入ると聴こえる音が増えることがある

・例:母の子守唄/特定の曲/お経など、入口は人によって異なる

7.事例:聴こえすぎる/聴こえない

・聴こえすぎる人は「音の選択」が課題になりやすい

・聴こえない人は固まっていることが多く、緩めるには安全性と時間が要る

・聴く稽古は、方向を誤ると逆へズレるため、専門家の見立てが重要

8.結び:まず「聴ける」ことが上達の前提になる

・余韻やゆらぎを表現したいなら、まずそれが聴こえるようになる必要がある

・発声訓練の足し算より、聴く稽古の設計が突破口になることが多い

初公開(動画公開):2023-07-28 / 最終更新:2026-02-14