どうしたら自分自身の声につながるのか──和の発声が扱う「身体の状態」と感情の回路

多くの人は「歌っていて面白くない/楽しくない」と感じながら、どう直せばよいか分からず発声に悩みます。 その背景には、声を出す技術の前に、身体と意識の扱い方(コントロール/分断)が潜んでいることが少なくありません。 本章では、ボイストレーニング的発想の利点と限界、身体を整える稽古の入口、 そして「言葉になる前の身体状態のまま声が立ち上がる」地点までを、事例を手がかりに整理します。

この回で共有した問い

内容概要

多くの人は「歌っていて面白くない/楽しくない」と感じながら、どう直せばよいか分からず発声に悩む。背景には、身体を部品として扱い、頭の都合で改造しようとするボイストレーニング的発想がある。声を「出そう」とする時点でコントロールが生まれ、身体は反発し、意図(こう思われたい)が声の質に漏れる。事例では、上手いが頭で歌う歌手が、情景を主語なしで“状態として”歌う和の歌の構造に触れ、身体感覚を取り戻す稽古を通じて、言葉になる前の身体状態のまま声が立ち上がる地点へ到達する。感情は心身をつなぐ回路であり、身体と切れた感情表現は見抜かれ、想像通りの演奏になる。理解者が少ないが、そこにこそ突破口がある。

考察

「自分の声」とは、意志で作る成果ではなく、身体が生きている状態の現れである。声を操作しようとするほど、声は社会的意図を帯び、空虚になる。主語の薄い情景のうたは、私を押し出すのでなく、状態に身を置く稽古を要請する。感情は身体の名づけであり、身体に戻るほど声は真実味を持つ。少数派の違和感は、むしろ核心への入口だ。

内容の記録

0.導入:多くの人が「面白くない/楽しくない」と感じている

・歌っていて面白くない、楽しくない。しかしどう直せばよいか分からない

1.ボイストレーニングの弊害:身体を部品として改造する発想

・身体を部品として捉え、頭の都合で改造しようとする

・「そこだけを何かしたら変わる」という発想は、違和感を生みやすい

2.「声を出そう」とする時点でコントロールが生まれる

・大きい声/高い声を出そうとするほど、頭で身体をコントロールする構造になる

・コントロールが強いほど身体は反発し、固まり、出ない/詰まる側に寄ることがある

3.意図(こう思われたい)は声の質に漏れ、聴き手は見抜く

・他者の反応を狙う意図は、声の質(軽さ・硬さ・上辺)として現れやすい

・聴いている人は、理屈より先にそれを感じ取り、想像通りの演奏になる

4.和の稽古:まず身体を整える(心身一如)

・和の発声は、まず体を整えていく(呼吸・重心・土台)

・体が整うと心も整い、声は「出そう」としなくても通過して立ち上がりやすくなる

5.事例:上手いが「頭で歌う」歌手が変わった地点

・上手だが、頭で歌う状態だと、聴く側も頭で聴く状態になりやすい

・和の古曲の「主語が薄い/情景を状態として歌う」構造に触れる

・言葉になる前の身体状態のまま声が立ち上がる地点が生まれる

6.感情:心身をつなぐ回路

・感情は、身体の状態に名前が付いたものであり、身体と切れた感情表現は成立しにくい

・身体感覚に戻るほど、声は真実味を持ち、聴き手の反応も変わる

7.結び:理解者は少ないが、そこに突破口がある

・この領域を求める人は少数派になりやすい

・しかし「違和感」を持つこと自体が、核心への入口になる

初公開(動画公開):2025-05-24 / 最終更新:2026-02-13