問いの集約
感情と声をつなげる方法──嘘の感情表現は見抜かれる(和の発声法®️)
「感情を声に乗せたい」と望む人は多い一方で、実は自分の感情そのものが分からない人が少なくありません。 その結果、声は機械的・過剰な音量・不自然な高音・正確さへの執着など、 “良し悪しが分かりやすい方向”へ偏りやすくなります。 しかし現代の鑑賞能力は上がっており、承認や評価を狙った「嘘の感情」は声の質に漏れ、すぐに見抜かれます。 本回では、感情を「頭で作る」のでなく、身体に先行して生じた状態として捉え、 身体の感覚のまま声へ通すという稽古の要点を整理します。
感情を“表現する”以前に、感情を感じ取れる身体へ戻る。 そこから声は「出す」ものではなく、自然に生じてしまうものへ変わっていきます。
この回で共有した問い
- ・なぜ多くの人は「感情を声に乗せたい」と言いながら、自分の感情が分からないのか。
- ・嘘の感情表現は、なぜ声の質として見抜かれてしまうのか。
- ・感情とは何か──「思考」と何が違い、どこで生じているのか。
- ・感情を声に乗せるとは、結局“何を”声に乗せることなのか。
- ・「言葉になる前の情動」を、どうやって声へ通すのか。
- ・感情→声の通路は、なぜ人によって違い、画一的なテクニック化が難しいのか。
- ・生じた声を思考で止めてしまう癖を、どう扱えばよいのか。
内容概要
本回は「感情と声をつなげる」とは何かを、和の発声の立場から整理する。 多くの人は感情を声に乗せたいと言うが、そもそも自分の感情を感じ取れていない場合が多い。 その状態では、声は機械的・大きい・高い・正確など、評価されやすい方向へ偏りやすく、 他者の承認を得るために頭で身体を支配する構図が生じる。 しかし現代の鑑賞能力は上がっており、頭で作った「悲しそうな声」などの嘘は見抜かれ、人の身体には届かない。 感情とは、まず身体に先行して生じた状態であり、思考はその状態に後から名前を付けているに過ぎない。 したがって声に感情を宿すには、感情を演出するのではなく、身体に生じた感覚のまま声へ通す訓練が必要になる。 さらに「悲しみ」と名づけた瞬間に外形化しやすく、言葉になる前の情動の瀬戸際を扱うことが重要となる。 最後に、感情→声の通路は人によって異なり、テクニック化しにくいが、稽古として時間をかけて育つことで “生じてしまう声”が現れ、周囲の反応や表現の質が変化していく、と結ぶ。
- 感情が分からないまま「感情表現」をすると演技になる
- 感情は身体に先行して生じ、思考は後から名前を付ける
- 嘘の感情は声の質に漏れ、現代の聴き手には見抜かれる
- 身体感覚のまま声へ通す「通路」を育てるのが稽古
まとめ
感情は頭の中の物語ではなく、身体に先行して現れる変化である。 声に真実味が宿るのは、感情を作った時ではなく、身体の状態がそのまま響きへ変換された瞬間だ。 意図された感情は演技となり、自然に滲んだ感情だけが他者の身体へ伝播する。 自分の感情に気づくとは、新しい何かを得ることではなく、すでに起きている身体の現象を妨げないことである。
内容の記録
0.導入:実は多くの人は自分の感情がわからない
・「感情を乗せたい」と言うが、まず感情を感じ取れていないことが多い
・そのまま表現に入ると、演技(嘘の声)になりやすい
1.嘘の感情は声に表れる
・感情につながらない声は、機械的/大きい/高い/正確などに偏りやすい
・「上手いね」は評価=思考の領域に留まっているサインになりうる
・承認欲求で頭が身体を支配すると、声の質に作為が刻まれる
・現代の鑑賞能力は上がっており、嘘は見抜かれる
2.感情とは:身体状態に後から名前が付く
・悲しさ/寂しさ等は、まず身体のどこかに生じた状態として現れる
・思考はその身体状態を解釈し、言葉として名づけている
・感情を声に乗せるとは、身体状態のまま声へ通す訓練である
3.思考と感情:経由するほど嘘になりやすい
・身体感覚→思考→解釈、のルートは自分都合の物語になりやすい
・和の発声では、思考を通らず感覚のまま声につなげる方向を重視する
・「言葉になる前の悲しみ」の瀬戸際を扱う
4.実践:感情→声の通路づくり
・第一歩は「自分の本当の感情に気づくこと」
・次に、感じたものを声へ通すルートを育てる(人によって異なる)
・生じた声を思考で止めないために、安全な場と稽古が必要になる
5.結び:「生じる声」が周囲の反応を変える
・感じたことをそのまま表現できると、聴き手の反応が変わる
・そこに「自分にしかできない表現」や才能の入口が現れることがある
初公開(動画公開):2023-12-08 / 最終更新:2026-02-13