問いの集約
三味線を「身体で聴く」稽古──正しく弾いても、演奏が空っぽになる理由
音程も合っている。リズムも大きく崩れていない。間違いも少ない。
それなのに、なぜか演奏が空っぽに感じられることがあります。
その原因は、弾き方だけではなく、聴き方にあるのかもしれません。
本回では、音楽の聴き方を「情報で聴く」「判定して聴く」「身体で聴く」という三つの視点から整理します。
曲名や奏者名、有名かどうかといった情報で聴くこと。
音程、リズム、上手下手、正誤を判定して聴くこと。
そして、音が自分の身体や内面にどう触れたのかを見ること。
判定する耳は上達に必要です。
しかし、それが強くなりすぎると、
演奏は「間違えないこと」「指摘されないこと」「変だと思われないこと」に縛られていきます。
その時、演奏は整っていても、自分自身の問いや内面とのつながりを失い、
どこか空っぽになっていきます。
本回では、三味線を身体で聴くとはどういうことか、
そして音を聴いた時に自分の内側で何が起きているのかを見る稽古について考えます。
この回で共有した問い
- ・正しく弾いているのに、なぜ演奏が空っぽになるのか。
- ・音楽を「情報で聴く」とはどういうことか。
- ・音程、リズム、上手下手を「判定して聴く」ことには、どのような危うさがあるのか。
- ・判定する耳は、なぜ他人だけでなく自分自身の演奏にも向かうのか。
- ・「もっと音楽的に」「もっと味わって」という言葉だけでは、なぜ不十分なのか。
- ・身体で聴くとは、具体的に何を見ることなのか。
- ・音を聴いた時、身体のどこが反応するかを見ることには、どのような意味があるのか。
- ・身体反応は、感情、記憶、イメージ、動作とどのようにつながるのか。
- ・正解のない音楽を稽古として扱うには、何が必要なのか。
- ・自分の身体を通過したものを音に戻すとは、どういうことなのか。
内容概要
本回は、三味線の演奏が「正しく弾けている」にもかかわらず空っぽに感じられる理由を、 聴き方の問題から整理する内容である。 音楽の聴き方には、曲名、奏者名、有名かどうかといった情報で聴く聞き方、 音程、リズム、上手下手、正誤を確認する判定して聴く聞き方、 そして音が自分の身体や内面にどう触れたかを見る身体で聴く聞き方がある。
判定する耳は、演奏を整える上で必要な力である。 音程の違い、リズムのずれ、音色の違いを聴き分ける力がなければ、演奏を改善することは難しい。 しかし、その聞き方が強くなりすぎると、音楽を味わう前に評価が先行する。 他人の演奏を裁くように聴くだけでなく、自分自身の演奏にもその耳が向かい、 「間違えないように」「指摘されないように」「下手だと思われないように」ということが目標になっていく。 その結果、演奏は整っていても、自分の内側から動いてくるものを失いやすくなる。
身体で聴く稽古では、音を聴いた時に胸、腹、喉、背中、頭など身体のどこが反応するのかを観察する。 そして、その反応が感情、記憶、イメージ、色、温度、質感、動作とどのようにつながっているのかを見ていく。 ここで大切なのは、感じたいように感じることでも、思い込みを膨らませることでもない。 音を聴いた時に実際に自分の内側で何が起きているのかを、判断や解釈を急がずに見ることである。 そこから、自分の身体を通過したものをもう一度音に戻していくことが、 正しく弾くことを超えて、自分自身の音を探す稽古につながっていく。
まとめ
正しさだけを基準にすると、演奏は外側から測られる対象になります。 音程が合っているか、リズムがずれていないか、間違えていないか。 それらは確かに大切です。 しかし、それだけを追い続けると、演奏はいつの間にか評価をされるための作業になっていきます。
芸術の核心は、正解の中だけにあるのではありません。 音を聴いた時、自分の身体に何が起きたのか。 なぜこの響きが残ったのか。 なぜこの音に反応したのか。 そこには、すぐに答えの出ない領域があります。 けれど、その分からなさを保持するところから、音楽を味わう力が育っていきます。
身体で聴くとは、感覚を勝手に膨らませることではありません。 音によって生じた身体反応を誤魔化さずに見ることです。 そして、その反応をもう一度音に戻していくことです。 その時、演奏は評価されるためのものではなく、 自分自身を通過して立ち上がる表現へと変わっていきます。
内容の記録
0.導入:本当に上達しているかは聴き方に現れる
・本当に上達しているかどうかは、どのような聴き方をしているかに現れる
・まず何も考えずに演奏を聴き、自分が何をどう聴いているかを確認する
・演奏の問題を、弾き方だけでなく聴き方から考える
1.音楽の聴き方は大きく三つに分かれる
・一つ目は、曲名、奏者名、有名かどうかなどの情報で聴く聞き方である
・二つ目は、音程、リズム、上手下手、正誤を判定して聴く聞き方である
・三つ目は、音が自分の身体や内面にどう触れたかを見る身体で聴く聞き方である
2.情報で聴く
・知っている曲か、有名な人が弾いているか、権威があるかといった情報で音楽を判断する
・音そのものに触れる前に、外側の情報によって印象が決まることがある
・音楽や演奏を深く学んでいない段階では、この聞き方になりやすい
3.判定して聴く
・音程が合っているか、リズムがずれていないか、間違えていないかを確認する聞き方である
・三味線で言えば、壺が合っているか、甘いか、音色が良いか悪いかを判定する聞き方でもある
・一見すると細かく聴いているように見えるが、実際には音楽を頭で評価している場合がある
4.カラオケの採点基準に近い聞き方
・現代人に分かりやすい例として、カラオケの採点基準が挙げられる
・音程、音の長さ、ビブラート、声量など、機械で判定しやすい要素が基準になる
・これは音楽をゲームやスポーツのように扱う聞き方でもある
5.判定する耳が強くなりすぎる問題
・違いを見分ける力は演奏を整えるために必要である
・しかし判定が強くなりすぎると、音楽を味わう前に頭で評価する癖がつく
・その結果、音楽をそのまま受け取る前に、合っているか、間違っているかが先に立つ
6.三味線の音色は判定基準だけでは拾いきれない
・三味線の音色には、カラオケの採点基準では捉えきれないものが多く含まれている
・メロディーを正確になぞることだけでなく、一音に何かを込める感覚も大切にされてきた
・分かりやすく、大きく、派手に、簡単に鳴る方向だけを基準にすると、音色は痩せ細っていく
7.正しく弾いているのに演奏が空っぽになる理由
・判定する耳は、他人だけでなく自分自身の演奏にも向かう
・間違えないように、ずれないように、先生に指摘されないように、人から下手だと思われないように弾こうとする
・そうしたこと自体が目標になると、演奏は整っていく一方で、だんだん空っぽになっていく
8.自分自身の問いが置き去りになる
・本当はこの音をどう感じているのかという問いが置き去りになる
・この曲は自分にとって何なのか、自分はこの曲を通して何を聴き、何を動かそうとしているのかが見えなくなる
・真面目に学んできた人ほど、判定する耳によって自分の演奏を萎縮させてしまうことがある
9.「もっと音楽的に」「もっと味わって」の難しさ
・先生が「もっと音楽的に」「もっと味わって」と言う方向性は間違っていない
・しかし学ぶ側からすると、何をどうすれば音を味わったことになるのかが分かりにくい
・問題は学ぶ側の感性不足だけではなく、音を味わうための具体的な道筋が示されていないことにもある
10.身体で聴くとは何か
・身体で聴くとは、音が自分の身体や内面にどう触れたのかを見ることである
・頭で意味づけたり、音程や正誤で処理したりする前に、身体のどこに反応が起きたかを見る
・胸、腹、喉、背中、頭など、音を聴いた時にどこが反応したかを観察する
11.思考と感覚を分けて見る
・頭で判断していることと、身体に実際に起きている反応は同じではない
・身体反応をすぐに解釈せず、まずその場所にとまることが大切である
・思考と感覚を分けて見られるようになると、音楽の聞こえ方が変わっていく
12.身体反応と内面のつながり
・音を聴いた時の身体反応は、感情、記憶、イメージ、動作とつながることがある
・色、温度、形、重さ、質感のように感じる人もいる
・ある記憶が浮かぶ、初めて聴いた音なのにどこか知っているように感じることもある
13.表現は身体を通過したものから生まれる
・自分の内面にある何かを表現したいなら、まず音を聴いた時に自分の内側で何が起きるかを見る必要がある
・身体反応から感情やイメージ、動作が立ち上がることで、表現の具体的な手がかりが生まれる
・才能で自然にできる人もいるが、稽古として扱うことで再現性が高まる
14.社会的な常識が身体反応を止める
・こんなふうに感じていいのか、これは変ではないかと考えることで、実際に起きた反応を止めてしまうことがある
・こう感じたい、こう感じるべきだ、この音はこう受け取るべきだという観念に引きずられることがある
・その結果、本当に起きている感情や感覚ではなく、自分の思い込みをなぞってしまう場合がある
15.判断や解釈を急がずに見る
・音楽を味わう時に大切なのは、音を聴いた時に自分の内側で何が起きたかを見ることである
・そこに最初から正解はない
・正解らしきものがある判定的な聞き方は楽だが、芸術や音楽の本質は本来、分からないことの中にある
16.身体で聴く稽古が演奏を変える
・身体で聴くことが身についてくると、自分の聞き方、感じ方が変わる
・音が身体、感情、記憶、イメージにどう触れているかが少しずつ分かるようになる
・その感覚をもう一度音に戻していくことで、演奏は自然に変わっていく
17.自分の内面に嘘をつくことが難しくなる
・身体で聴く力が育つと、本当はそう感じていないのに周りに合わせることが難しくなる
・自分の中で起きていることと、外から求められる正しい演奏の食い違いに気づきやすくなる
・音を聴いた時に自分の中で何が起きているかを、自分自身が知ってしまうからである
18.自分にしか起きない反応を音楽に戻す
・同じ音を聴いても、人によって身体反応は違う
・そこから立ち上がる感情、記憶、イメージも違う
・自分の身体を通過したものを音楽としてつなぎ直せるのは、自分自身だけである
19.身体で聴くことの注意点
・身体で聴くことを学べば、それだけで素晴らしい演奏ができるわけではない
・感じたいように感じたり、思い込みを膨らませたりすると、独りよがりな演奏になることもある
・身体で聴くとは、実際に自分の内側で起きている反応を見て、それをもう一度音に戻していく訓練である
20.正しく弾く作業から、自分の音を探す稽古へ
・正しく弾くことは大切だが、それだけでは演奏の深まりには限界がある
・身体で聴く力が育つと、演奏は正しく弾くための作業ではなくなる
・自分自身の音を探し続ける、終わりのない試行錯誤へと変わっていく
補足1:判定して聴く耳が演奏を空っぽにする理由
1.判定する耳は必要である
音程、リズム、間、音色の違いを聴き分ける力は、演奏の上達に必要です。 ずれに気づけなければ、演奏を整えることはできません。 その意味で、判定する耳そのものが悪いわけではありません。
2.判定が強くなると、音楽を味わう前に評価が始まる
問題は、判定する聞き方が強くなりすぎることです。 音楽を受け取る前に、合っているか、間違っているか、うまいか、下手かを見てしまう。 すると音は、味わうものではなく、評価する対象になっていきます。
3.まとめ
判定する耳だけで演奏を作ると、演奏は整っても、 自分自身の内側から動いてくるものが失われやすくなります。 だからこそ、正確さを支える耳と、音を身体で受け取る耳の両方が必要になります。
補足2:身体で聴くとは何か
身体で聴くとは、音を聴いた時に自分の内側で何が起きているのかを見ることです。 それは、感覚を大げさに語ることでも、感じたいように感じることでもありません。 まず実際に起きている反応を、できるだけそのまま観察することです。
1.身体のどこに反応があるかを見る
音を聴いた時、胸に来るのか、腹に来るのか、喉に反応があるのか、背中なのか。 まず身体のどこが反応したかを見ます。 ここで大切なのは、すぐに意味づけしないことです。
2.身体反応が内面につながることがある
身体の反応にとどまっていると、感情、記憶、イメージ、色、温度、形、重さ、質感などが現れることがあります。 それは、音が自分の内面に触れた時に起きる反応です。 そこに表現の手がかりが生まれます。
3.まとめ
身体で聴くとは、音を自分の身体に通すことです。 そして、その身体を通過したものを、もう一度音楽としてつなぎ直していくことです。 ここに、自分にしかできない演奏の入口があります。
補足3:正解のない音楽を稽古として扱うには
判定する聞き方には、正解らしきものがあります。 音程が合っているか、リズムが合っているか、間違えていないか。 これは判断しやすく、ある意味では安心できます。 しかし、芸術や音楽の本質は、すぐに正解が出ない領域にもあります。
1.分からなさを保持する
なぜこの音に反応したのか。 なぜこの響きが残ったのか。 なぜこの音楽が自分の中で動き出したのか。 そこにはすぐに答えが出ないことがあります。 その分からなさを急いで処理せず、自分の中に保持することが大切です。
2.思い込みを膨らませない
身体で聴くことは、思い込みを自由に膨らませることではありません。 実際に身体に起きた反応を見ることです。 そのためには、経験豊富な指導者のもとで、丁寧に扱う必要があります。
3.まとめ
正解がないから何でもよい、ということではありません。 正解がないからこそ、身体で聴く力を磨く必要があります。 その力が育って初めて、言葉にならないものを音楽として扱う入口に立つことができます。
初公開:2026-06-19 / 最終更新:2026-06-19