三味線・唄教室 あかい紅葉 > 田中こず恵のブログ2024年

田中こず恵 ブログ2024年

田中の三味線演奏風景

目次


・2024.12.30 9割は叫んでいるだけ

・2024.11.29 2024年 発表会を開催しました

・2024.11.09 一番大切なのは声の質

・2024.10.20 <ご案内>11月17日は発表会です

・2024.09.26 可能性を広げる方法

・2024.08.10 演奏動画「長崎ぶらぶら節 民謡」

・2024.07.05 三味線の重心と構え方

・2024.06.21 都々逸「鐘が鳴りました」

・2024.04.26 演奏動画「100年前の太棹三味線の音色」

・2024.04.14 口三味線

・2024.02.12 演奏動画「梅にも春」

・2024.01.08 三味線を叩いてはいけない

・2023.12.08 感情を声につなげる

・2023.12.01 演奏動画「佐渡おけさ」

・2023.11.24 インタビュー動画「上手い下手を超えた世界」

・2023.11.19 2023年 発表会を開催しました

・2023.10.31 演奏動画「ちゃっきり節」

・2023.9.30 「こぶし」作り方/抑揚の作り方

・2023.8.01 ムダな練習より"聴くこと"が大切

・2023.7.15 演奏動画「伊勢音頭」

・2023.7.01 テクニックでは改善しない大切なこと

・2023.4.28 基礎7つのチェックポイント

・2023.3.31 和の発声法(4)高音の出し方

・2023.2.24 痛みを防ぐ動作

・2023.1.27 和の発声法(3)腹式呼吸について

・2022.11.27 2022年 発表会を開催しました

・2022.10.01 北名古屋教室開講(名古屋芸大内)

・2022.8.13 和の発声法(2) ロウソクの火を利用した稽古

・2022.6.30 疲れにくい三味線の弾き方_左右のバランス

・2022.5.30 祇園小唄/弾き唄い/三味線演奏ライブ

・2022.4.21 道南口説/北海道民謡/三味線演奏ライブ

・2022.3.14 15周年コンサートを開催しました

・2022.3.5 教則動画「三味線にメトロノームは使ってはいけない」

・2022.2.20 コンサート リハーサル

・2022.1.30 教則動画「目の動きが変わると音も変わる」

・2022.1.5 3月13日 15周年 記念コンサート 予約開始

・2021.12.30 発表会アーカイブ「本庄追分」

・2021.12.08 発表会アーカイブ「名古屋甚句」

・2021.11.30 2021年 発表会を開催しました

・2021.11.13 発表会に向け 生徒さんとの撮影

・2021.10.23 津軽三味線 三下り(さんさがり)(演奏動画)

・2021.10.11 出囃子 円馬囃子(えんまばやし)(演奏動画)

・2021.10.5 チューナーの使い方(教則動画)

・2021.9.26 糸の替え方(教則動画)

・2021.9.19 十日町小唄(弾き唄い動画)

・2021.9.14 撥の動作ウツ(教則動画)

・2021.9.11 秋田民謡 ドンパン節(弾き唄い動画)

・2021.8.22 津軽三味線 津軽あいや節

・2021.8.20 ワクチンの2回目の接種が終わりました

・2021.8.8 民謡 チャグチャグ馬コ (弾き唄い動画)

・2021.8.1 三味線の構え方(教則動画)

・2021.7.29 出囃子 じんじろ (演奏動画)

・2021.7.22 民謡 郡上節川崎 (弾き唄い動画)

・2021.7.16 津軽三味線 津軽甚句 (演奏動画)

・2021.7.13 撥の持ち方 (教則動画)

・2021.7.7 端唄 春雨 (弾き唄い動画)

・2021.7.6 民謡 ソーラン節 (弾き唄い動画)

・2021.7.4 合同稽古「深い基礎・自分の音色 実践編」終了

・2021.7.3 撮影の様子

・2021.7.1 ブログ リニューアル

9割は叫んでいるだけ(24/12/30)


00:00 「中途半端な西洋発声」「叫ぶような日本風の発声」「和の発声」
01:10 「叫ぶような日本風の発声」と「和の発声」の違い
叫ぶような発声を日本風の発声と間違えている人が多くいます

1.「叫ぶ」とどうなるのか
叫ぶ発声→体を固めて重心を上げる。喉を固める。声を平たくする。一部にのみ響かせる

このような発声をしていると
・喉を痛める
・身体を痛める(腰痛、背中の痛み)
・自律神経を乱すと現れる症状(眠れない、頭痛など)
・違和感がある/楽しくない/苦しい/嫌になる
・一曲は反応が良いが、二曲目以降はダメ
・「上手だね」「元気だね」とは言われるが、感動したとは言われない

  これらに心当たりがある人は、知らず知らずのうちに叫ぶような発声をしているかもしれません
03:25 
2.「叫ぶ」ようになった理由
日本は江戸時代に鎖国をしていました。それが日本の独自の文化を形成し、伝統芸能の発声や身体技術に埋め込まれました。
しかし、その後、欧化政策や教育政策の変更により伝統芸能は徐々に失われていきました
叫ぶような日本風の発声が生まれたのは、マスメディアや西洋音楽に適したオーディオやホールなど環境の変化、音楽のスポーツ化に適した発声として混ざり合い、叫ぶような発声として現代に至っていると考えられます
特徴
・身体を固め重心を上げる
・裏声のように声帯を伸ばす
・喉や声帯を閉める
・西洋発声のように頭部に響かせる
・目や口を大きく開けて声を前に飛ばす
・硬質な甲高い声を推奨する
・みんな一緒になる
一節では、母音が多い日本の言葉が伝わりやすく、日本の環境でも声が通りやすいとも言われています。
しかし令和の現代では、この発声が合わず、人によっては心を体を蝕み、先程お伝えしたような症状が出る人もいます。

05:15
「叫ぶ」=我が出ている発声
「叫ぶ」=キャー
他人の関心を得る方法の一つ
これは交感神経が優位になって心身が緊張して興奮してきます。
この発声はスポーツに適した発声で身につけることになります。
一部のボイストレーニングでは、この「叫ぶ」が推奨されます。
一瞬大きい声が出るので、やった気になる
しかし、長期的には声が出なくなることもあるります

テクニックとは頭の都合(承認欲求、勝ちたい、資格が欲しい、組織から見放されたくないなど)で声を改造することです。
手段に過ぎないテクニック、それ自体に点数をつけて競い合う。
その状態で活動している人は「我」が出ている状態です。
それを伝統芸能では小手先と言って戒めています。
また、本当に大切なことを骨抜きにして形だけ状態を形骸化していると言います

08:09 和の発声法について
(1)感情は声を通じて表現される
叫ぶ発声の人は、重心が高く、頭が私。考え/思考が私
頭で身体を支配する「テクニック」を取り入れます
日本人は本来、感情は肚にあると考えていました。
一方、重心が高く、頭が私の人の場合、頭で考えた「感情風」のことを実現しようとします
それは我を出した大袈裟な表現や無理に大きく高い声を出すことをしようとします。
これは感情表現ではありません

感情は声を出すのではなく「声を通じて表現される」「声を通じて生じるもの」です。
頭で考えて出すものではなく、身体から湧き上がるものです。

感情を身体を通じて表現すると情動となります。
外に対して身体の動きを伴い、働きかける何かで、それを声、動作、目、表情が利用されます。
声だと、身体で感じた感覚を判断、解釈をせずにそのまま声に繋げると感情が声を通じて表現されることになります。

10:10 声を情動を繋げる基礎
・呼吸を深くする
・重心を肚や丹田に下げる
・日本古来の身体技術を身につける ことです
上級者は、これだけお伝えすると奥の深さがわかりますが、いわゆるテクニックではないため実際に目の前でできている人を見ないと実感できないかもしれません。

自分の情動や感情に触れる身体を作っていく

このような抽象的なことを伝えるのに「口伝」を使用していました。

11:50(2)自分を通過させる
「私」が「主体」ではなく「対象」が「主体」となる。「私」はそれを繋ぐ「媒介者」となります
例)情景が主体となります。私を通じて何かが生じ、それを声に繋ぐと唄になります。
私が何かをするのではなく、情景を自分に通過させるという感覚です。

情景を頭で考えるのではなく、情景のイメージをイメージのまま運び、それを糸口として、身体を通じて声に繋ぐ。これは私が何かをするのではなく、私を通じて立ち現れる「何か」なのです。
情景のイメージは人それぞれですが、それは人それぞれ違っていていいのです。
個性とは、その対象の運び方、対象と身体との繋ぎ方のことで、その人の生まれてからの経験や身体の違いから必然的に生まれてくるものです。
考えて個性を出そうとするものではなく、自然に個人差が生まれてくるものです。

このような抽象的なことをお伝えするために、体得して人から直接身体を通じて学ぶ口伝が採用されてきました。
和の発声法では、このような奥の深いことをお伝えするために、
知識、心身、意識、技術をトータルで取り組んでいきます。
正しい知識を身につけて、心身を整える。意識が拡大が生じると技術がついてくる。
この過程を繰り返していくことを「稽古」と呼びます。
本当の感情が声を通じて表現される。
自分に何かが通過する
多くの人に体験いただきたいことです。・喉や声帯を閉める
・西洋発声のように頭部に響かせる
・目や口を大きく開けて声を前に飛ばす
・硬質な甲高い声を推奨する
・みんな一緒になる
一節では、母音が多い日本の言葉が伝わりやすく、日本の環境でも声が通りやすいとも言われています。
しかし令和の現代では、この発声が合わず、人によっては心を体を蝕み、先程お伝えしたような症状が出る人もいます。

05:15  3.ボイトレと和の発声法の違い
「叫ぶ」=我が出ている発声
「叫ぶ」=キャー
他人の関心を得る方法の一つ
これは交感神経が優位になって心身が緊張して興奮してきます。
この発声はスポーツに適した発声で身につけることになります。
一部のボイストレーニングでは、この「叫ぶ」が推奨されます。
一瞬大きい声が出るので、やった気になる
しかし、長期的には声が出なくなることもあるります

テクニックとは頭の都合(承認欲求、勝ちたい、資格が欲しい、組織から見放されたくないなど)で声を改造することです。
手段に過ぎないテクニック、それ自体に点数をつけて競い合う。
その状態で活動している人は「我」が出ている状態です。
それを伝統芸能では小手先と言って戒めています。
また、本当に大切なことを骨抜きにして形だけ状態を形骸化していると言います

08:09 和の発声法について
(1)感情は声を通じて表現される
叫ぶ発声の人は、重心が高く、頭が私。考え/思考が私
頭で身体を支配する「テクニック」を取り入れます
日本人は本来、感情は肚にあると考えていました。
一方、重心が高く、頭が私の人の場合、頭で考えた「感情風」のことを実現しようとします
それは我を出した大袈裟な表現や無理に大きく高い声を出すことをしようとします。
これは感情表現ではありません

感情は声を出すのではなく「声を通じて表現される」「声を通じて生じるもの」です。
頭で考えて出すものではなく、身体から湧き上がるものです。

感情を身体を通じて表現すると情動となります。
外に対して身体の動きを伴い、働きかける何かで、それを声、動作、目、表情が利用されます。
声だと、身体で感じた感覚を判断、解釈をせずにそのまま声に繋げると感情が声を通じて表現されることになります。

10:10 声を情動を繋げる基礎
・呼吸を深くする
・重心を肚や丹田に下げる
・日本子来の身体技術を身につける ことです

上級者は、これだけお伝えすると奥の深さがわかりますが、いわゆるテクニックではないため実際に目の前でできている人を見ないと実感できないかもしれません。

自分の情動や感情に触れる身体を作っていく

このような抽象的なことを伝えるのに「口伝」を使用していました。

11:50(2)自分を通過させる
「私」が「主体」ではなく「対象」が「主体」となる。「私」はそれを繋ぐ「媒介者」となります
例)情景が主体となります。私を通じて何かが生じ、それを声に繋ぐと唄になります。
私が何かをするのではなく、情景を自分に通過させるという感覚です。

情景を頭で考えるのではなく、情景のイメージをイメージのまま運び、それを糸口として、身体を通じて声に繋ぐ。これは私が何かをするのではなく、私を通じて立ち現れる「何か」なのです。
情景のイメージは人それぞれですが、それは人それぞれ違っていていいのです。
個性とは、その対象の運び方、対象と身体との繋ぎ方のことで、その人の生まれてからの経験や身体の違いから必然的に生まれてくるものです。
考えて個性を出そうとするものではなく、自然に個人差が生まれてくるものです。

このような抽象的なことをお伝えするために、体得して人から直接身体を通じて学ぶ口伝が採用されてきました。
和の発声法では、このような奥の深いことをお伝えするために、
知識、心身、意識、技術をトータルで取り組んでいきます。
正しい知識を身につけて、心身を整える。意識が拡大が生じると技術がついてくる。
この過程を繰り返していくことを「稽古」と呼びます。

本当の感情が声を通じて表現される。
自分に何かが通過する
多くの人に体験いただきたいことです。

2024年 発表会を開催しました(24/11/29)

<発表会報告>
17日に発表会が終わり、早くも1週間が経過しました。出演のみなさん、お越しいただいたみなさん、ありがとうございました。

うちの教室は、基本的に個人稽古なので、年に一度のこの機会でしか会えない生徒さんも多いです。
特にオンライン生徒さんたちはこの発表会のために
東京、大阪、兵庫、埼玉、徳島、福岡、大分、台湾から来てくれました。
ある種のお祭り的な感覚もありました。

出演者もお客さんも、「同じメンバーが揃うことは二度とない」この時間を大切にしたいと思う発表会でした。
発表会の感想が続々と届いているので、一部ご紹介します。
「年々レベルが上がっている」というのが、一番多い感想です。
一人一人が真剣にお稽古に取り組んでいることが、形として現れてきていると感じます。
そして、みんながそこまで仕上げてくることがわかっているから、自分のできるギリギリのところに、一人一人が取り組んでいるという実感です。
一人一人が1曲に真剣に向き合い、自分の人生や思いなどを深掘りして自分のものにしています。
特に後半の生徒さんの演奏については、プロかと思ったという感想が多いです。

そして、他にも
・一人一人の個性が爆発していた。
・みんな違う。その人自身が伝わってくる
・楽しい。ずーっと見ていられる
・出演者からの優しさ、観客からの優しさが伝わる空間だった
・弾き唄いが多くてびっくりした

1〜3年目、5〜10年目、10年目以上と3つの段階で演奏の取り組みや伝わること、存在の仕方が違うように感じます。
また、私の演奏については、ここでは詳しくは書きませんが、今までとは全く違う感想が届いています。
特に津軽三味線は2年程前から、自分の演奏に違和感がありました。
最近になって、やっと自分なりの演奏に出会うことができ、自分の出したい音の方向が見えてきました。

ただ、それが伝わるのか、自己満足なのかわからなかったので不安もありましたが、この方向で手応えを感じています。
(後日動画を公開しますが、おそらく実際の10分の1くらいだと思います)

その場を共有することができ、「他者」となり得る存在とともに演奏するという感覚がもう1段深くできたかと感じています。
そんな生徒さんや関係者の方々と歩んでいけることに喜びを感じています。

みなさん、ありがとうございました。

2024年の三味線_集合写真

一番大切なのは声の質(24/11/09)


実は、和の発声法のお稽古に一番来るのは僧侶の人たちです
(1)「声の質」が命運を分ける
00:27 「あなたの声をずっと聞いていたい」と感じてもらえることがとても大切
    何を唱えているかの前に、自分の声や存在でその場や空間を作る必要があるのが僧侶
    その人の声を聞いて、「いいお経が聞いた」「ありがたい」と思ってもらえるかが勝負
01:15 「大切なのは声の質」
      僧侶の方だけではなく、声に取り組む全ての方に知っていただきたい大切なことです
01:25 僧侶と日本の伝統音楽の共通点
    僧侶が唱える何かは日本の伝統音楽の構成と似ており
   「シンプルな楽器の音(音色)」「節」「間」「声の質」で構成されています
   一方「メロディー」「リズム」「ハーモニー」+「意味の理解できる歌詞」を音楽として教育されてきた現代の日本人にとっては、僧侶の唱える何かや日本の伝統音楽は異質で馴染みがないと感じられるでしょう。また、一般的には「お経や呪文」なほとんどの人に理解できません。
僧侶の唱える何かは、音楽とは認識しにくい。そのため、「声の質」がそのものが問われる。
「声の質」次第で、聞いている人が苦痛に感じたり、退屈します。逆に「声の質」がよければ、素晴らしい何かを体験したという心境になることもあります。
04:37 「声の質」で勝負できないとエンタメに逃げる
    日本の伝統文化の本質がわからない人が安易に行うことが、伝統芸能のエンタメ化です。
    メディアが取り上げてくれるウケる手法を学習し、それを伝統芸能や伝統文化に安易に取り入れ、他人の注目を集めることを伝統芸能のエンタメ化といいます。これは僧侶の世界でも同じように起きています。伝統文化の「形骸化」ともいいます。 結果、人が離れていく。自分の中の違和感が溜まっていく。
06:15 なぜエンタメかを追いかけるのか
    作為をもって自己利益を追求する→小手先
   この時の声の質に表現されるのは、重心の高さ、単調さ、軽薄さ、上辺だけ、仮面っぽさ など
「する」のではなく「しない」が大切です。
「する」と「しない」の両立が稽古で取り組むことの1つです
「声の質」にとって大切なことは、「どのようにあるか」です
声の質は稽古や修行、行為の蓄積が結果として声に現れるのであって、意志を持って変えるものではありません。
    (2)問題は伝統芸能と似ている
07:25 伝統文化の学び方の問題点について
    問題は伝統芸能と同じ
   発声に関する問題点の1つに口伝の弊害があります。
    口伝は師匠の発声、所作、動作を見て聞いて真似て覚えることです。
    しかし、それを具体的に伝えることを怠る師匠が多いという弊害もあります。
   例えば、質問させてもらえない。質問すると怒られる。抽象的な表現で言われ、具体的な方法を提示してもらえない。昭和の根性論を押し付けられる。科学や新知見を軽視するという相談が多く寄せられています。理解できない自分が悪いと思わないでください。
   奥深い口伝+言葉、概念、科学、新知見を併用して学ぶと深く学ぶことができます。

(3)本質は伝統芸能と共通している
10:00 僧侶の根幹は、「祈り」です。
   あちらの世界とこちらの世界を繋ぐ。何かを鎮めるというお仕事が僧侶のお仕事です。
   それは、三味線(特に津軽三味線)も共通することです。
   伝統芸能の根幹にも「祈り」「魂鎮め」がある。そこに結びついた三味線・唄・発声をお伝えしています

12:18(4)「声の質」に取り組むこと
   声の質、するとしない、祈り、伝統文化の構造。
   このような抽象的なことを学ぶのが稽古です。
   稽古とは・・・
   テクニックは、頭で体をコントロールすること。例えばボイストレーニング。
   スポーツならこのアプローチは有効
   稽古とは、心身一如という捉え方をし、声の質や声の症状は結果と捉えます。
   最初は体から取り組み、日本古来の体の使い方からアプローチします。
   例えば、日本古来の身体技術、呼吸を深くする、丹田に重心を下げる。言葉では伝わりづらいことも、師匠との口伝で体得することができます。
また、和の発声法ではこれだけではなく、知識、心身、意識、技術トータルで取り組みます。
これができると、結果として声の質が変化していきます。

声の悩みの多くは、僧侶や伝統芸能に関わる人だけでなく、日本人なのに日本人に合う発声方法を学んだことがないことが原因です。
その人の声だけでなく、その人の佇まい、仕草、動作、姿勢全てが声にも現れます。

<ご案内>11月17日は発表会です(24/10/20)


みなさまのご来場お待ちしております。

2024年の三味線発表会

可能性を広げる方法(24/09/26)


00:27 1.昭和の演奏はもう通用しない
    「三味線音楽は一方通行だ」ある評論家の手厳しい評価です。伝統音楽の一部にありがちなのですが、形式的な演奏や組織の都合の演奏を優先して、聴いてくれる人のことをあまり考えないこともその1つです。
01:10 身内の中では成立しても、一歩外に出ると成立しない。
知らない曲や馴染みのない曲を、一方通行で演奏してしまうことは現代では通用しない。
02:00 接点が持てる曲を自分が演奏できなければいけない。ある特定のジャンルの曲だけでは対応できない
02:18 三味線世界の事情。演奏ジャンル毎に会派、流派がある
03:00 特定のジャンルしか弾けないことが、演奏活動や教室、その人の可能性を狭めてしまう
03:50 インターネットを通じて、魅力的な音楽に触れる機会が増え、昭和に比べて音楽の鑑賞能力が上がっている。演奏ジャンルを広げたい。演奏できる曲を増やしたい
04:42 具体的には、「歌謡曲・現代曲・有名曲の三味線アレンジができるようにしたい」「小唄・端唄・民謡・津軽三味線が弾けるようになりたい」(長唄・地唄の人に多い)    津軽三味線の人に多いのが、「小唄・端唄・民謡」などみんなで唄いながら弾けるような曲ができるようになりたい
05:10 事例1
06:15 三味線の演奏ジャンルの違い
07:00 2.演奏に求められること
    多くの奏者は1つのジャンルしか演奏することができない。一方で、一般な社会    「みんなが知っている曲」「津軽三味線(現時点)」のリクエストが多い 08:00 事例2
09:25 双方向のコミュニケーションが取れる曲が弾けることが、前提中の前提になります。
    これは、もともと三味線音楽ができていたことです 09:45 これは、一見伝統芸能や芸術の本質ではないかもしれません。安易に聞きやすい曲を演奏しているだけでは行き詰まります。しかし、本当にやりたい曲や伝えたい曲がある人こそ、このことを軽視してはいけません。まず、聴いてもらう。それを呼び水として、自分の本当に弾きたい曲、聴いてもらう曲を1曲入れる。お客さんは、知らない曲を長い時間聞くという体勢ができていない。そもそもの聴いてもらうというところに立てない。
11:00 その演奏機会に懸命に答えていると、自分の能力が開いていきます。単なる練習を続けていたら得られない重要な成長へ結びついていく
11:35 3.スタートラインに立つ
行き詰まる人の特徴→「自己利益」のために演奏している 「自己利益」=資格、組織や先生からの評価、他人に勝とうとする、承認欲求。聴いている人を向いていない。これは一方通行の演奏になる 今後、演奏者に求められることは、「一つのジャンルに縛られない」「できれば細棹、中棹、太棹の多様な演奏ジャンルに対応できること」これは、世間があまり前に求める水準です。 世間の求める水準が上がってきている。
13:25 演奏者に最低限求められる能力は「三味線のアレンジ演奏」「楽譜を自分で制作できること」「他の楽器とのセッションができること」「作曲、即興演奏ができること」
13:33 気づくことは音楽の基礎不足「音楽や楽器の基礎知識」「三味線の技術」「伝統芸能や芸術の知識を身につけること」総合的に音楽の知識や技術を身につけることは、聴いてくれるひととの双方向のコミュニケーションが取れる演奏が自然とできるようになってきます。ここが大切
14:30 一見、逆説的なように思えますが、一旦、他者のために能力を開くの方が、結果的に自分の可能性がグッと広がります。しかし、これはゴールではありません。スタートラインに立つことにすぎません。そのスタートラインに立つことにも、他者が必要です。またスタートラインに立った先の世界を歩むにも他者が必要です。
15:07 「他者」がいないと自分は成長できない
「他者」=「観客(演奏を聴いてくれる人)」「演奏や可能性の幅を広げてくれる先生/師匠」「一緒に歩んでくれる仲間」「自分の可能性を広げてくれる楽器」「衝撃を受けて眠れなくなるような演奏」「今の自分には演奏できそうもないような素晴らしい楽曲」 自分自身で作り上げてしまった殻の外の世界に出るには、広い意味での他者の力が必要です。他者を通じて演奏者としてのスタートラインに立ち、その先を歩む。 是非、多くの人に体験いただきたいことです

民謡「長崎ぶらぶら節」(24/08/10)


長崎ぶらぶら節をスタジオ収録してきました。
4本と6本の高さを撮影しましたが、私としては4本の方がしっくりくるので、今回は4本の方を公開します。
収録ということで、前の日は緊張していましたが当日は、スタッフの方々の柔らかい雰囲気も含めてリラックスして収録することができました。

動画「三味線の重心と構え方」(24/07/05)


三味線の構え方が安定しないという相談をよく聞きます。
三味線の重心は、ツボ(勘所)の番号で言うと16、17、18あたりです。
そこが少しでも自分の体の右側にこれば、太鼓の重さで自然に太鼓が下がって、棹があがります。
しかし、逆だと棹が下がってきてしまうので、棹がグラグラし、構えが安定しなかったり、棹を左手で持ち上げながら弾くことになるので、肩や腕が疲れる原因にもなります。

また太鼓の位置は、人の体格によって安定する位置が異なります。
自分に合う位置を探りましょう。

都々逸「鐘が鳴りました」(24/06/21)


柳家三亀松さんの「鐘が鳴りました」を聞いてから、男性と女性の掛け合いが面白くて、どうしても演奏したかった1曲です。
この日は男性の方のおじさま感がちょっと足りなかったなと反省。まだまだ未完成ですが、これからも追求していきたい1曲です。

演奏動画「100年前の太棹三味線の音色」(24/04/26)


大正時代の太棹三味線の即興演奏です。最近の太棹よりも少し細いタイプです。
この三味線と対話しながら、駒や撥、糸の太さを組み合わせました。
また、この三味線が出したい音、伝えてくれる音との対話をしながら演奏すると、この感じになりました。最近の三味線とは音色の響き方が違って、いつもとは違う世界に連れて行ってくれました。
観客の方々からの反響も多かったです。中には「怖くなる」という人もいましたし、琥珀色の音色という表現をしてくれた人もいました。

動画「口三味線」(24/04/14)


00:00 1.「楽譜」VS 「口三味線」
00:15 楽譜を見ながら習得した演奏例@
00:20 口三味線で習得した演奏例@
00:30 楽譜を見ながら習得した演奏例A
01:05 口三味線で習得した演奏例A
    口三味線で曲が動いていく。
01:25 2.楽譜→頭で演奏する
日本人は古来より口三味線で学んできました。音楽を身体で直接習得することが大切でした。
しかし、義務教育で西洋音楽のように楽譜で学ぶようになってきました。
そのため、楽譜があることが当然と思っている人も多いのが現実です。

 ・楽譜のメリット
 音楽をメモとして記録。曲全体の構成を把握。みんな同じ演奏ができること
 ・楽譜を見て弾くことの弊害1
 姿勢が崩れる。視野が狭くなる。身体が固まる。呼吸が浅くなる。「音」ではなく「目」で演奏をしてしまう。
 ・楽譜を見て弾くことの弊害2
  頭で演奏する回路を作り上げてしまう
 ・楽譜を見て弾くことの弊害3
  その場にいられない。楽譜で次を追う。今の音に集中できない。今、この瞬間にいられなくなる。→中身のない音楽

楽譜で演奏する人は、番号や音符を頭でなぞります。頭の記憶を呼び覚ましながら身体へ指令を出し、次はこうしようと意図します。この瞬間、瞬間の遅れが音楽にとっては致命的です。
頭は未来に気を取られ、身体が過去にいる状態になります。

頭で演奏する人は、楽譜通りに間違えずに弾けば他者から承認が得られると信じ、頭で身体をコントロールしようとしますが、現代の鑑賞能力が向上している人たちには、その浅い意図が見透かされてしまいます。単に上手なだけ。こんなことを繰り返していると、ぎこちないロボットのような演奏になります。
昭和ならまだしも、令和の現代にこのような演奏に魅力を感じる人がとれくらいいるでしょうか?
私は、これが日本古来の音楽人口が減少し続けている重大な原因の1つだと考えています。

そもそも、楽譜通りに間違えないで弾くことはロボットやAIの方が上手になるでしょう。
では人間にしかできない演奏とはなんなのでしょうか?
それは「口三味線(くちしゃみせん)」という学び方に隠されているのではないでしょうか。

3.楽器は声の延長物
  楽譜通りに間違えないで弾くことは、中身のない演奏と言われています
  文字通り、音楽に「身体性」がない状態です。今回はこれを口三味線と絡めて説明します。
  人間にしかできないことの重要な1つは感情・情動です。
  古来の言葉の通り、人間は感情を身体で感じています。感情とは頭で考える以前に身体に感覚が生じる。
  この身体感覚と演奏がつながらないと「中身のない音楽」になってしまう
  しかし、多くの場合、感情を表現しようと意図すると、自意識が過剰になりうまくいかないか、頭で考えた感情”風”のことを身体を支配してやり出します。日本ではこの状態のことを「小手先」と言います。このような状態にならないために、日本古来の捉え方として「声の延長物が楽器」という捉え方をします。

口三味線で覚えることで、自分の身体とつながって、そこから曲や音が情動とつながって出てくるというルートを作ることができる。
かなり単純化させると、身体感覚である感情を直接表現するルートの1つが声。純粋な感情は言葉ではなく、声の質で表現される。
07:11 口三味線の例

07:50 口三味線を通じて、自分の声と動作や演奏表現をつなぐ訓練をしていけば、無理に感情を演奏で表現しようと意図せずとも、結果的に無理なく感情が演奏に表現されていきます。
感情は複雑です。時には人間の声を声、楽器を利用して生み出されます
身体それ自身はもちろん、感情や情動の感じ方、表現へのつなぎかたは人それぞれ異なります。
それが「個性」なのです。

08:10 日本古来には、現代にはびこる「個性的であれ」「自分らしくあれ」という突拍子もないスローガンはありませんでした。小手先な作為ではなく、「中身のある音楽や芸」を身につけ、身体性を取り戻すことを大切にしていました。地に足をつける。肚が座る。重心を下げる。呼吸が深まるなどを本当の意味で体得することです。そして結果的にあなたの個性が表現されるのです。

08:45 口三味線を大切にしてきた理由→中身のある音楽、音楽に身体性を取り戻す
    是非、多くの人に体得していただきたいと思います。

08:50 4.「口三味線」身体で音楽を学ぶ

09:10 口三味線の注意事項
口三味線は先生や流派、地域、演奏ジャンルによって少しずつ異なります。そのため、ご自身の先生から直接学んでください。ただし、現在口三味線を教えることができる先生は年々減少しています。本章では、楽譜でしか学んだことのない人に口三味線で学ぶ雰囲気を感じてもらえればと思います。

09:50 口三味線の実践
    口三味線を覚えてから、口三味線を動かす
ただ口三味線を覚えるのではなく、身体とつなげていく。
呼吸と自分の動作をつなげる。その時に基本の動作がとても大事になってきます。

日本人は音を言葉や声で覚える。例えば、自然の音を言葉で表現する。言葉として聞こえる。だから自然が語りかけてくる。同じように口三味線で覚えると三味線との対話になる。
口三味線で唱えながら、先生と動きを合わせる。そこをちゃんとお稽古しましょう。
演奏に行き詰まる人の典型は、楽譜から目が離せない。口伝のお稽古ができない。
共身体が作れない。
師匠の動きを学ぶ。まねぶ。是非、そこまで取り組んでもらいたいと考えています。
17:50 楽譜を否定するわけではありません。楽譜には楽譜のよいところがあります。
うまく併用していきましょう。

また、口三味線の基本は師匠との口伝のお稽古です。
なぜ、口伝のお稽古なのか。本動画をご覧いただけたなら、それがわかっていただけたと思います

演奏「梅にも春」(24/02/12)


端唄の「梅にも春」です。もう少しゆっくり弾いてもよかったなと思います。

この曲は好きで一時期よく演奏していました。春になると弾きたくなります。
「間」の余韻が難しく、大切な曲です。春らしく淡いピンクの着物にしました。

三味線を叩いてはいけない(24/01/08)


00:00 「叩く」と「ウツ」は違う
00:35 1.「叩く」と「ウツ」は違う
00:45 違いの実演
01:05 <多くの人からいただく相談>
・身体を痛めてしまう
・演奏すると強い緊張で体がガチガチに、疲れやすい
・演奏すると眠れない
・楽しくない、うるさいと言われる
・心に響く演奏ができない、曲や音に身を預けられない
・機会だと言われる、メトロノームがないと演奏できない など
 これらは、叩くという動作が影響している可能性があります
01:20 2.叩くとどうなるか
叩くという動作 → 怒りの放出や攻撃と同じ動き
 無意識に「ウツ」という奥の深い動作を「叩く」と勘違いして身につけている場合、無自覚のうちに怒りや攻撃性を相手に伝えているかもしれません
01:40  叩き続けるとおきる身体の変化→興奮する、重心が上がる、交感神経が優位、心拍数の増加→筋肉への血流の増加、動作が強く早くできるようになる
一方で、呼吸が浅くなる、表情か強張る、目つきがキツくなる、音がきこえづらくなる、ある種の感情を感じなくなる
→戦闘モードの動物のような状態になる=スポーツのような演奏
02:35 「叩く」演奏の特徴
・音が大きく単調
・音が速い、多い
・頭で判断する、心身が分離する
・頭で身体をコントロールする
・戦う、競い合う
・表層的な筋肉で動作する
=驚くほど多くの人が同じような演奏をします

02:50 「ウツ」の特徴
本来の意味での「ウツ」の動作ができると
・重心が下がる
・呼吸が深くなる
・表情が豊か
・音がよく聞こえる
「ウツ」の本来の意味を体得し始めたと感じるのに20年はかかりました。
この動作を体得しはじめると、この「ウツ」という言葉が選ばれてきた理由がわかりはじめてきます

03:25 3「ウツ」の語源
太鼓をウチに行く動作
何をウツのか。神様の心をウツと捉えていたという可能性があります。(諸説あります)
昔の人は自分と他人や自然や神様との境界があいまいでした。
ウタも同じように神様の心を「うった」もの→ウタ

心を叩くとは言わない。心とウツ。
心を込めてウツ。打ち込む。そう認識してウツと動きが変わります。
人は、言葉の通りに動こうとします。
叩くと言葉で認識すると叩きます。それくらい、言葉は人の心や動きに影響があります。

今回は、「ウツ」と「叩く」の違いをほんの一部を解説しましたが、本来「ウツ」という言葉にはさらに深く、多様な意味があります。それは、「ウツ」だけにとどまりません。
古来の言葉と動作のつながりは本当に奥が深いものです
また別の機会に紹介できればと思います。
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