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(35)母の三味線で出会った自分の音色 (中棹紫檀)

「自分の音色が出る瞬間」

ぜひ皆様にも体験していただきたい大切な瞬間です。

 

奏者へインタビュー(60代 女性)

 

・それまで三味線はやられていたのですか?

 

いえ、それまでは三味線に全く興味もなく、テレビとかでも古典芸能を聞くこともなく過ごしてきたのですけど、私も仕事ばかりしてきたので、何か趣味でもないと、定年も近づいてきたのでこれからの人生楽しくないんじゃないかと思って。

色々やってみたのですけど何一つ物にならず、でも、楽器はやってみたいと思っていたところ

三味線がずっと床の間にあったんですよ。

 

母の三味線です。

ケースに入ったまま埃まみれにになっていて、母も50歳過ぎになってはじめたと思うんですけど、多分は母が弾いている姿を見たことがありません。

 

仏壇の隣に母の三味線がありました。いつも気にはなっていました。

そういえばこんないい物あるじゃない。

三味線は埃まみれで、皮も破れて使えない状態でした。

 

・田中さんに三味線を直してもらっていかがですか?

 

最初見たときびっくりしました。

私は古いボロボロの三味線しか見てなくて

で、それをそのままリメイクしてもらうために持ち込んだのですが、

もう新品だったの。

私には新品に見えました、全部ピカピカで、全部皮も張り替えて、

新品に見えたのですが、それを母が使っていた物だと思うと、

すごく大事にしなければいけないなと。

母がどれくらい使っていたかはわかりません。

反面、母が途中で諦めた楽器がそのまま家に置いてあって、

その三味線が私に「もうちょっと弾いてよ」と言ったのかな とも

後からこぎつけた話かもしれませんが、今は大切にしています。

 

・三味線のある生活

 

不思議なことに三味線を習うことを嫌になったことがありません。

先生の教室に通い始めて一番びっくりしたことは「譜面(楽譜)」がないことです。

私は子供の頃は、ピアノをやっていました。ピアノは楽譜ありきです。

だけど、先生のところはそれが一切なかったのです。

それにびっくりした。

いわゆる口伝なのですけど、

私にはそれが合っていました。

一つ一つ、先生の教え、録音したものを家で何回も何回も聞いて、

それが楽しくて

パズルとかクイズをしているみたいに、音が合ってくると楽しいの。

もちろん苦しい部分もあるのだけど、(最初は)弾けないし、音は間違えるし、

どうしたらいいのって思うのだけど、

わからないままにひたすら音源を元に弾いて、耳で覚えますね。

 

・この三年間、三味線の音色に変化がありましたか?

ありましたね。

それは本当に感じました。

あるときから、三味線が私に響いてきたのですよ。

それまでは、もちろん音は鳴るのですけど、(最初は)響いてこなかったですね。

でも、それが、私に響くようになってきました。

 

・それはどんな感じでしたか?

そのとき先生にメールしたのですが、「やっと自分の音が出ました」って

感動しました。

それはどうしてなのかまだわからないのですが、

それは先生のところに通ったことと、

稽古だけじゃなくみんなで実施する座学などもあり、他の生徒さん達とも色々お話ししたり、

多分自分の中で何か変化が起きたのだと思います。

 

 

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